戦う君のひとみはいつも美しい。

思いつくままに駄文を綴ります。

2023.2.18

京都での生活を振り返ると、貴船神社のしっとりとした雰囲気が思い返されます。

貴船神社鞍馬山貴船山の山峡に位置し、古くから祈雨の神として信仰される高龗神を祀っています。

大学生時代に一度だけ足を運びましたが、雨が降る中の散策となり、じめじめとして、如何にも形而上学的な何かが現出しそうな空気に、密かな愉しみを覚えたことを思い出します。

参拝を終わらせ、足取りは鞍馬山へ。靴を泥で汚しながら鬱蒼とした山道を歩いていると、妖怪ハンターさながらの異界に迷い込んだ心持がし、疲れよりも好奇心が歩みを進めさせました。

しばらく歩いていると、ぽとりと、小さな何かが落ちる感覚に気付きました。

ぬめぬめと蠢く落下物を注視すると――それは山蛭で、焦り身をあらためると、既に何匹か腕や足に纏わりついてました。ほうぼうの体で山を駆け下り、身体から蛭を落としたことは今でもちょっとしたトラウマです。

蛭は唾液に麻酔作用があるらしく、嚙まれても無痛で気づけません。また、血液凝固を阻害する分泌液により、傷の治りも遅くなる。生態としての効率的な仕組みに驚きつつ、地面にできた血の染みに、げんなりしました・・・。

 

蛭と言えば、日本神話において、伊邪那岐神伊邪那美神が最初に産んだとされる『蛭子』の名前を彷彿されます。蛭子は身体が異常に柔らかく、3歳になっても歩けなかったため、両親はその穢れを厭い、彼を葦の舟に乗せ、海に流したと言い伝えられます。幸運にも、流れ着いた先で漁民に救われた蛭子は、大切に育てられ、やがて七福神の一柱、恵比寿様として親しまれるようになりました。

海で漂着した水死体(どざえもん)や勇魚を、恵比寿様と呼び、福があるものと尊ぶ言われがありますが、蛭子伝説は、流された子の行く末に救いを与えたい誰かが、元々あった恵比須様信仰に紐づけたのかもしれないと、ふと考えてしまいました。